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↑すべすべした石を触ってるだけで、うっとりする。

 

 鎖骨のちょっと下のたいらなあたりに、ここんとこずーっと、まとわりついてたもやもやがあった。

 

 「いついなくなっても平気なように」ってよくいうさ、わたし。

 
もともとがマイナスなのね、のこり時間がほとんどないわー、さてどうすんべって想定で暮らしてるわけだ。そうすっと必死にならざるおえないでしょ。あくまで後ろ向き極まりない。

 

でもわたしの後ろ向きパワーには、おばかちゃんエッセンスがつねにたっぷり注がれるために、いつのこまにか「ま、とりあえずわらちゃいますか?わっはっは」ってなっちまう。

 

もともと主流だったはずの後ろ向きパワーは息をひそめてるかに見えるが、ある日ふとしたことでころっと、ほかのすべてまでを覆い尽くす。そうなっと手に負えん。

 

わたしは読んでて苦しくなるサイトには目を通さないようにしてるけど、漂流しててたまたまそういうところに行き着いたらば、どっと疲れて電源を切る。もやもや粒吸って、がおっちまう。 注・がおる=方言で、疲れるの意

 

ブログの活用法はひとそれぞれでいい。でもわたしとはまったくちがう使い方で、しっかり学びを得てる友人のを見ると、きまっていつも消耗してしまう。

 

あまりに直接響きすぎて乗り物酔いのような気分になるので、みるのを自粛していた。

 

「落ち込んでるときと、逆にうんと気分がよくて乱されたくないときは見ないし、電話も出ないからね」

 

なんともまあ鬼嫁のような言い分を、それでいいよと言ってくれたあの子はなんて太っ腹。

 

四国・松山で撮ったオーラ写真の診断結果にさ「あなたの興奮はひとに伝染しやすい」とあった。そんならよ、どうせ蔓延させんなら、おばかちゃん的興奮をまき散らしたい。


だからそのひ帳はすきなもの、だいじなひとたちと、たべものと、どあほう報告一色になる。


たとえばこないだ、豆乳ラテ作って環ちゃんにだそうとして"カフェオレしません?”ブレンディ入れて作ったら、なんでか溶けない。いくらかましても粒が残る。


おかしいおかしいと思い、そこにいたちひろちゃんに見せたら「これ豆挽いたやつだよー」と助言をいただき、茶こし使ってお出しした、とかさ。


古着屋でうんといい色のジャージを400円で買ってきてみれば、じつはどっかの学校ジャージだったとかさ(1年6組61番小野辺さんのものだったらしい)。


そんなんでいい。

 

そのひ帳はあくまで道具であって、場ではない。

 

作家でも評論家でもないわたしの近況を、知人に報告するための、そしてあたらしいだれかと会うための、ただの道具にすぎん。


せっかく時間と通信料使って読んでくれてる友人知人らにさ、もやもや気分をおすそ分けすんのはしのびないもんな。


ひょんなところからそのひ帳まで流れ着いてくださった、会ったことすらない見ず知らずのひとにだって、パソコンや携帯の画面から、もやもや粒は届くっちゃ。


いくら多くの言葉をネットの海で交わしても、解り合えた気分になっても、海のなかにいるまんまじゃ、どっかの町ですれ違っても気づくことすらできないでしょ。ネット環境がなかったら、つながり消えちゃうでしょ。

 

ごめんもありがとうも、言えやしねえ。

 

実際会うのが無理でも、電話で自分の声でおはなししたり、肉筆で手紙をやりとりしたり、自分の手で生み出した作品なんかを届けられるのなら、ちゃんとこのひとと会いましたって、しるしが残る。

 

わたしはそのしるしががほしいし、受け取ってももらいたい。電力に頼らないたしかなものに触らないと、気がすまないし落ちつかないんだもの。

 

使ってるのは便利な近代文明の恩恵そのものでも、頭んなかは旧式のまんまってことだな。うちのじいちゃんばあちゃん並みに、海のなかとそとをぱこんっと割り切れんのよ。

 

つらいときにつらいというのは至極簡単。でもそうわたしが言ったところで、ここに書いたところで、はたしてそれを知ったひとらはうきうきした気分になるか? そうは思えない。



「うひー、出た出たやっと出たー!」って報告ならいいだろうさ。いっしょにうおっしゃ-!って叫べるし。


わたしゃ自分の悩みやしんどさについて、ひとと語らうつもりはない。うつ穴は、ひとり勝手気ままに落っこちてればいい。


しかしそれすら、もううひとりで暮らしてたときのようにはいかない。


わたしの精神面での上がり下がりは、そのままことらとの共用スペースの環境状態に反映されるから。なぜならわたしは気分わるいと、部屋を散らかしっぱなしにする。ことらはそれがいやらしい。

 

しかもごはんは味気ない日多いし、肉料理はいっぺんしか出ない。その上しこたま怒られてばっかりのこの10日間、ことらなりの苦労はあったことだろう。

 

姉を怒らせることを次々期待以上にやらかす妹には、もちろん非はある。

 

でもわたしの叱り方には最近毒がすごかった。ここまでかってほど、こってりと濃厚でしかも熱い。まるでお好み焼きかなんかの表現みたいだけど、あんなん浴び続けたら寿命縮まるね。

 

だから謝った。毒まいてごめんよと。

ごめんとありがとは気づいたらそのつど伝えるべし。

 

吐き出せないもやもやを、妹に浴びせかけてどうするよ。
もっとがんばろう、姉。


 

というのを、おとといアップしようとしたらば、メンテナンスに入ってしまったあとだったので、今日更新。

 

ちなみにあの晩は、とりこと葉子がごはんたべにきた。葉子たんじょび、おめでとう!

 

3人で餃子をつくったが、O型とA型の気質のちがいがそのまんま仕上がりに反映されてて感心したわー。

葉子の肉多すぎだから、はみ出してばっか。O型の大ざっぱな気質、だいすきだけどね。

 

ネットの海でたゆたって、見知らぬやさしいだれかの言葉に心温まることもあるけれど。

 

わたしは自分の手で触れるもの、耳で聴けるもの、この目で見届けられるもの、自分の声で意思を伝えることができるひとらのことを、ていねいに大切にする。

 

そのひ帳という道具をつかって、これからもわたしの日常を伝えてゆく。


けいじばん

*テキスト使って書いたら長くなりすぎた…すまんのう