↑葉子とぺー、もりみめしをたべにくる。柱時計の時報音を、みんなで数えた。
数年前、通いつめいていた古道具屋にひさしぶりに立ち寄った。
北仙台から仙台駅まで歩こうと思ったのは、想像よりもあったかかったから。そしてMDプレイヤーの調子が絶好調だったせいだ。
よし、歩こうと駅とは逆に進行方向を変更する。
信号待ちをしちたとき、そういえば「ざったや」のおばちゃん元気かなあて思ったのさ。北四番丁の弁当屋の隣にあるお店。
わたしはここで買った、生活用品を長らく愛用している。
こないだのはんぺんスープはオレンジ色のホウロウのなべでこしらえて、喫煙客が灰皿代わりに使うのはふた付きの壷というように。
スタンド、器、お盆、かご。キャンプ用の飯ゴウなんて、リモコン入れになってるわ。ほかにも数えだしたらきりがないほど。
今夜はお客が来ることになっていたので、炒飯を盛る大皿がほしかった。
ちょうど手ごろのが300円。なつかしい、あいかわらず雑然極まりない店の中もみせてもらうことにしたら、目が合ったのだった。
その時計と。ねじ式でさ、ぼーんぼーんと音がなるやつ。
ちょっとでもななめになると、ちくたくちくたくが止まってしまうという。
戦後に作られたもので、振り子の部分に貼られたセロテープは黄ばんでしまっている。でも気になった。
ふだん履かない革靴での移動中、しかも外は雨がふりはじめていた。どうしても、今日のうちにタワーレコードまで行かねばならなかった。止まるのが前提の時計、お値段は2千円。
わたしはうれしいことがあったなら、それに乗じてお楽しみをさらにふやしてしまおうとする。
そうすっとさ、誕生会のときなんかにつくるわっかの飾りみたいになって、記憶がどんどん連鎖してくから。
環ちゃんとなかよくなれたのは、Coccoの音楽を聴くって共通点があったからだった。そしてみわちゃんへ縁がつながり。
ゴミゼロ大作戦のイベントがまた再び行われる今年、この愛すべき海の魔女と土の母にめぐり会えてほんとによかった。
わたしは運がいいさ、遭難しても事故っても、ちゃんと生きてるしよ。
先週末のフィギュア世界選手権、フリーの演技中。
優勝したスルツカヤと観客のあいだに感じた、まるでライブのような高揚感がすばらしくてぐじぐじ泣きべそかいたけど。
ここ数年というもの自分の身の上で起こったことで泣いたおぼえがない。
しんどいこと起こっても、見たくないものみても、それが夢でみていた情景と重なるならば、避けようがなかったのだ思うしかない。
だからなにがあっても、とにかくどっかにわらいを見出そうと無用な努力を続けてしまう。
かなしみの種も、わらいの種も。すべての事象にまんべんなく種子は蒔かれているんだろう。どういうふうに種を育てるかは、栄養そそぐ自分しだい。
ってな心がまえをだ、揺るがないようにしっかりとりきめた記念と、ことらとの同居祝と、こたつ寝防止に。
「おばちゃん、お皿とセットで2千円にして」
「いいよー」
こうしてわたしは時計を連れ帰る。
三越のジョアンでチェリーパイ買ってタワーに寄って、また駅まで歩くあいだ、重くて指が痛くなった。何度も持ちかえた。ときどき、振り子がかーんと鳴った。
そして葉子とぺーがやってきて、わたしは米を研ぐところからめしをこしらえ始める。
ふたりがなかよしなのはとなりの台所にいてもおだやかに感じられ、またしてもかあちゃんの気分になった。
その後わたしたちは、めしをもりもり食い、ドラマの最終回を見、茶をのんだ。
時報を知らせる鐘の音を幾度か数えているうちに、なぜか正しい回数より2回分、いつもその音がたりないことに気づく。9時なら7回しか鳴らんのよ。
そして現在、ふたりは樹なつみさんのまんがを携えて帰ってゆき、ことらは部屋にいて、わたしはひとりで時計の音を聴いてる。
ちくたく、ちくたく、夜が流れてゆく。
もりうみけいじばん