←特売のときしか買いません

なんもしたくない
なんも作りたくないときは
俺の塩かUFOの海鮮塩焼そば、
スパ王たらこ味にかぎる


『ハチミツとクローバー』今朝よみました

野宮さんがいい!とかなんとか、昨夜なんの迷いも恥じらいもなく言ったものの

新刊にはひとコマも登場してなかったっちゅうこの無念さ、おわかりいただけますかね

ええ、でもいいの
次巻の砂丘に期待するさ

お見通しの方もおられるでしょうが、しんさんと、美和子さんもわたしごのみの空気を持ってるひとです

タオルを頭に巻いた頼れるローマイヤー先輩は、個人的にどきどきだ

でも今回はこれこれ

→にゃんこをだらーんと持ち上げる森田さんのコマ

やめて!その手、その手首の骨!(わたしゃ手フェチ骨フェチ)

くらくらよろよろ~って、携帯からこんな見境なくほざいてすんません

ではまたあした


←時計を買った店『ざったや』です


日曜の夜の地下鉄は
がらがらんとしていて居心地よいな

さっき出掛けにさ、ことらがハチクロの新刊を買ってきてくれて
あとでのんびり読みたい、
でもいまのわたしには栄養が必要だ!
というわけで、一話だけみてきた

本誌で読んでるからさ、新たな驚きがあるわけではなくて

単行本になってるのを手に持ってるだけで、こんなにうれしい

なにかを生み出してだれかに届けるなら、こういう風に感じてもらえるものにしたいな

あ、やっぱわたしは野宮さんがすきだ



↑地元の朝。「jupiter」をはじめて聴いたときに撮ったのです。
 
 
自分のブログの記事の表題には、曲名や本のタイトルを使いたくない。

わたしの本名ってあるアスリートの名前とおんなじで、再三書いてるようにわたしは自分の名前に自信がない。

血縁者以外にその名で呼ばれても、自分のことだって自覚がない。まったくない。

コンプレックスはなにかと問われたら、わたしは迷うことなく名前と答える。その反動でさ、ひとの呼び名や作品のタイトルにはけっこう執着すんだよね。

でも歌や本やお店を、名前で選んで失敗するってことは、そんなにない。

ブログだってそうだ。アメブロだけでも15万くらいあるんでしょう。記事のタイトルが気になって流れ着いたとこって、けっこうぴんとくるのが多い。

ライブドアでやってたときにくらっときた「はちみつ中毒」も、そのひとつ。

詩よりも俳句よりも短いけど、題も作品だべ。匂うんだ、どんなひとなのか。けものっ鼻、ばんざいさ。

でもね、さっきはついやってしまったわ。興奮しすぎてやっちまったよ、ごめんな。(追記でなおした)

SINGER SONGER、シングル発売決定! うひょーう、うれしいなあ。

このバンドはCoccoとくるりの岸田さんが参加している。昨秋には、ふたりで限定販売ののシングルも出した。

Mステステージで、「焼け野が原」を歌って走ってって、数年。ようやく、Coccoは自分のあり方を、やり方をみつけてかえってきたんだなあって思った。

「初花凛々」5月発売。なんて読むんだ、しょかりんりんか?

ひさしぶりだなあ、この、おたのしみが待ってるぞーって感覚。いま死んだら悔やみきれん!なにがなんでもその日を迎えたるって、気力に満ちあふれる。

なにかが起きて心身が削れてしまったって、補えばよい。この栄養で。

ほんじつの写真は、かつて透子が速達で届けてくれた栄養を、散歩しながら聴いていたときの景色。枝は桜、春にははらはら花が散る。

おととい久々に聴いたらば「Title of mine」があんまりよくて、泣きそうだった。毎度のごとく、なみだは出なかったけど。

さあさ「ホワイトアウト」みながら、今夜ももりもりごはんをいただこう。
 
 
もりうみけいじばん
↑わたしの写真て、横顔と後ろ姿ばっかり多いのはなぜだ。メドゥーサあつかいですか?


こんなことブログに書くのはどうかと思うが、あくまで日常報告が目的なので記録として残しておくとしよう。

同居5日目の妹・ことらが、またしても約束を破りおった。

ようやくトイレのふたを閉めてくれるようになり、今日なんてそうじもごみだしもしてくれて、母・ふくに電話で話したら「雪降ったのはそのせいだ」と言われるほど。

ふたりで買物にでかけ、きちんとした夜ごはんをこしらえて、さあいただきましょうかってときになって、わたしはことらの嘘に気づいた。

炊きたてのごはんの湯気がもわもわするなか、説教する。

こいうとき下を向いてだんまりするのは反則だろう。ちゃんと目をみておくれと、わたしゃこれまで何べん言ったことか。

わたしと目が合うと、石にでもなるというのか。

湯気が薄れ、味噌汁もひんやりと冷め。シュウマイのてっぺんが固くなってようやく、わたしは箸を持った。

自室にひっこんだことらに声をかけ、サッカーのイラン戦をみながら、ふたりでいただいた。この子のいいところは、引きずらないってことだね。その分忘れるのも早いんだろうけどもさ!

嘘は嘘、めしはめし。そうだよ、そのとおりだ。

 
記憶には、組み合わせがある。色や天気やたべものを、わたしはひとと結びつけて、しつこく忘れることはない。

雨が降れば、雑貨屋で鳥グッズを見つければ、袋ラーメンが安売りしてれば、それぞれ思い起こすひとがある。

今夜は東の空にくっきりとしたお月さんが浮かんでいて、ことらと買物に行く前に、オーバーを着こみながらわたしはひっそりお月見した。

スーパーでは大福が半額で売ってて、団子じゃないけどまあいいやってかごに入れた。ごはんたべたら、ことらとたべんべーって。

な・の・に! ことらは姉のみならず、月見大福までも裏切ったわけ。

くやしいのでこれからわたしがふたつとも食べてしまおうと思う。これはけしてマフィンのうらみを晴らしたいわけじゃない。

あらためて、約束しとくれ。今宵の月に誓え。


・そのひのことのは-022・


 神埼与五郎は言い訳をしなかった。
 弁解も、弁明も、しませんでした。


2002年11月25日のそのひ帳(ノート版)より抜粋
 
 
…なにかからの引用のはずだけど、わからない。与五郎って誰さ。とっても気になるぞ。

四万十にいた時期なので、テレビではないはずなのはたしか。
小説かな、でもなんの?


今日の写真。四万十川は山のなかにある流れのあるプールみたいなもんでさ、あらゆるものが水鏡に映りこむんだよ。

空も、雲も、樹も人間も。おんなじように、対称に。
 
 
もりうみけいじばん
↑北仙台「ヤスミン」で買った斉藤理恵子さんの、うずまきぐるぐるの器と、おととい書いた気まぐれ時計。
 
 
なんかまいんち、怒ってる気がする。
 
毎度のことだけど、浮き沈みの揺り返しがはげしい。よし、っと思って部屋を片そうとするとまた出鼻をくじかれ、体調はわるくないのに、倦怠感が降り積もるかんじがする。

朝方バイトから帰ってみると、まず鍵があけっぱなしだった。

ことらは部屋で寝ているようだ。首を振り、嘆きつつ茶の間のこたつにもぐった。…なぜだ、なぜ…。まるでわたしの帰りを待っていました!とばかりに暖まっている。

そのうえ楽しみにとっておいたマフィンの、包み紙が無残にもごみ箱に捨てられていた。…おまえ、昨日おなじやつ食べたろうが…。

くいもんの恨みはおそろしいのだよ、ことらちゃん。

さらに追い討ちをかけるように、ことらは約束を破った。家族ときっちり約束したはずのきまりを、あっさり反古にした。

怒ると、消耗してしまう。さらにネットってなんなんだろうと考えはじめたから、ますますぐったりする。

外の島とつながりたいなってきもちと、自分の島を守りたいきもちがせめぎ合う。ブログという形態をとっている以上、避けては通れないのかもしれないけど。

 
わたしが住んでるこの街で、先週からお子さんが行方不明になってるんだって。家出したい、って友だちと話したあといなくなってしまったって。

親御さんはネットの力を借りて、いまもその子の情報を集めていて。善意で協力してるひと、そうじゃないひともたくさんいて。
これらはさっきコメント欄にいただいた書き込みを読むまで、まったく知らなかったことだ。


見ず知らずのお母さんの親心、なんとかしたいと思う人たちの心境、そしてネットの強みと怖さについて考える。

いろんな意見が交わされてるなかで、わたしが懸念するのはネットの闇の面。悪意は消えることはなく、それでもいまなんとかしたいんだって必死さにたいして、わたしはどう答えればいいんだ?
 

そして決めた。外を歩くときは、まわりをよく見ながら歩こうと。そして周囲にいる友人にもおねがいしてみようと。
 

リンクもトラハもコメントもしない。この画面のこっち側から、情報を発するのはどこにいたってできる。

でもこの街で暮らし、もしかしたらすれ違ったこともあったかもしれない子のためにわたしがしたいのは、この身体を使って、見て聞いて捜すこと。

もし目の前にその子がいたなら、自分の言葉で話かけることだ。

もうよその街へ移動してしまったかもしれないけど、それでもできるかぎり視線を配っていようと思う。
 

「目の前におちてるごみを、拾ってから文句言いましょう」

怒ってばかりじゃなにも変わらないと、あっちゃんは言ったよ。毎日ごみをひろい続け、歌い、自分の願いを遠くまで届けた。

電波の力を借りて得た情報をどう生かすかは本人に託される。

わたしはわたしの身体を使う。
全身全霊で、言葉を届ける。

 
もりうみけいじばん
↑あなたの目には、どう映りますか?
 
 
去年の秋につくったHPがあって、その名を「もりのうみのいえ」という。

画像のアップに必要なデジカメのケーブルがみつからず、そうこうしているうちにモブログの便利さにかまけて現在にいたっている。

携帯で写真を撮って、添付して送ればこのそのひ帳に反映されるのです。上の画像は数年前に35ミリカメラで撮った写真を映したやつ。

そのひ帳を携帯でみてくれてるひとは、前のライブドアブログにて画像だけ更新してるので、そっちでみておくんなせい。

ここにアクセスしたあと、下のほうのID入力ってところに amenoniwa と入力してみて。表示されたページをお気に入りにいれてもらえば完了です。画像はほぼ毎日のっけてます。

貧乏性のわたしとしてはパケ代が気になるので、カタカナは半角にするとかいろいろやってみてるんだけどさ。いつもつい長くなってしまってごめんよ。でも読んでくれてありがとう。

で、この写真について。

おもしろいことにおんなじ一枚なのにみるひとによって、感じ方が相当変わるらしい。とくに上下さかさまじゃないの?と言われることが多い。

こないだ、みりとひーちゃんがみたときは「森でしょう?」と言われた。深い緑の森に、光が差してるって。

これは青森県の十二湖にある、青池。池の水面を切り取ったもの。うちのおとんが大好きな場所でもある。

その名のごとく真っ青な池の、みなもに映った樹の緑。沈んだ枝葉の緑、水辺に浮かんだ葉の緑。池底に差し込む陽の光。

ひとによって違うものに見られるのがおもしろくて、葉書にして送ったり、お店においてもらったりもした。

けいじばんに、みわちゃんが書き込んでくれたのは、わたしがむかしっから想いつづけてきたことで。わたしは「ジャスト」をみながら、返信を書いた。

一本釣りがお得意の魔女っつーのは、環ちゃんのこと。会話するだけで、そのひとのいろんな要素を釣り上げてくれる、あれってすげー技だよねとわたしたちは話していたので。

こないだその魔女といっしょにみたのが、Coccoのクリップ集。ラストの「Drive you crazy」のPVは、活動中止の後に発表された。

そりゃあもうことさら明るいもので、抜けるように青い空の下、バンドのメンバーは高らかに笑い、踊り、歌うんだ。

インタビューを読んでの憶測だけど、あっちゃんは当時いろんな感情を抱えていた時期の撮影のはずで、でもなにも知らないひとが見たらば、そんな印象はどこにも見出せないだろう。

歌と踊りとなかまは、かなしいをたのしいに変える力を持ってるんだな。
 

四万十川ユースには星をみるための台があって、そこで旅人たちは流れ星を見上げる。

会ったばかりの、たいていは二度と会うこともない人々と、首をのけぞらせて星を数えるのだ。

一生のうちで迎える幾夜のうちかの一夜、おなじ星をみて歓声をあげて、虫にさされたところをぼりぼりかいてさ。

「うひょー、あーんなでっかい流れ星みちゃったわーん」ってよろこびをさ、共有するわけよ。

ああいうのがいいな。

おんなじものを抱えるのなら、痛いかゆいしんどさに着目するよか、うきうきの面ばっか強調してたい。せっかくより添うならわらっちまおうぞ。

ことらによると、わたしは感動屋らしい。

「なんでもかんでもひとりで騒いでる」と、同居初日に言われた。妹よ、そのとおり。おぬしの姉のうきうきストックは、それこそ売るくらいある(だれも買わねっつの)。

わざわざ読んでくれるひとに、予想外の重石を持って帰ってもらうんではなく、うれしかったことやすんげーて思ったものを、どうにかして友人に届けられればいい。

遠くてめったに会えないひとたちが、その身やその心を削られてしまったときに、ふわっと思い出してくれれば、それでいい。

いまはそのひ帳がその役目を担い、いずれもりのうみへとつながる道しるべになればと思ってる。


もりうみけいじばん
↑葉子とぺー、もりみめしをたべにくる。柱時計の時報音を、みんなで数えた。

 
数年前、通いつめいていた古道具屋にひさしぶりに立ち寄った。

北仙台から仙台駅まで歩こうと思ったのは、想像よりもあったかかったから。そしてMDプレイヤーの調子が絶好調だったせいだ。
よし、歩こうと駅とは逆に進行方向を変更する。

信号待ちをしちたとき、そういえば「ざったや」のおばちゃん元気かなあて思ったのさ。北四番丁の弁当屋の隣にあるお店。

わたしはここで買った、生活用品を長らく愛用している。
こないだのはんぺんスープはオレンジ色のホウロウのなべでこしらえて、喫煙客が灰皿代わりに使うのはふた付きの壷というように。

スタンド、器、お盆、かご。キャンプ用の飯ゴウなんて、リモコン入れになってるわ。ほかにも数えだしたらきりがないほど。

今夜はお客が来ることになっていたので、炒飯を盛る大皿がほしかった。
ちょうど手ごろのが300円。なつかしい、あいかわらず雑然極まりない店の中もみせてもらうことにしたら、目が合ったのだった。

その時計と。ねじ式でさ、ぼーんぼーんと音がなるやつ。

ちょっとでもななめになると、ちくたくちくたくが止まってしまうという。
戦後に作られたもので、振り子の部分に貼られたセロテープは黄ばんでしまっている。でも気になった。

ふだん履かない革靴での移動中、しかも外は雨がふりはじめていた。どうしても、今日のうちにタワーレコードまで行かねばならなかった。止まるのが前提の時計、お値段は2千円。

わたしはうれしいことがあったなら、それに乗じてお楽しみをさらにふやしてしまおうとする。

そうすっとさ、誕生会のときなんかにつくるわっかの飾りみたいになって、記憶がどんどん連鎖してくから。

環ちゃんとなかよくなれたのは、Coccoの音楽を聴くって共通点があったからだった。そしてみわちゃんへ縁がつながり。

ゴミゼロ大作戦のイベントがまた再び行われる今年、この愛すべき海の魔女と土の母にめぐり会えてほんとによかった。

わたしは運がいいさ、遭難しても事故っても、ちゃんと生きてるしよ。

先週末のフィギュア世界選手権、フリーの演技中。
優勝したスルツカヤと観客のあいだに感じた、まるでライブのような高揚感がすばらしくてぐじぐじ泣きべそかいたけど。

ここ数年というもの自分の身の上で起こったことで泣いたおぼえがない。

しんどいこと起こっても、見たくないものみても、それが夢でみていた情景と重なるならば、避けようがなかったのだ思うしかない。

だからなにがあっても、とにかくどっかにわらいを見出そうと無用な努力を続けてしまう。

かなしみの種も、わらいの種も。すべての事象にまんべんなく種子は蒔かれているんだろう。どういうふうに種を育てるかは、栄養そそぐ自分しだい。


ってな心がまえをだ、揺るがないようにしっかりとりきめた記念と、ことらとの同居祝と、こたつ寝防止に。

「おばちゃん、お皿とセットで2千円にして」
「いいよー」

こうしてわたしは時計を連れ帰る。


三越のジョアンでチェリーパイ買ってタワーに寄って、また駅まで歩くあいだ、重くて指が痛くなった。何度も持ちかえた。ときどき、振り子がかーんと鳴った。

そして葉子とぺーがやってきて、わたしは米を研ぐところからめしをこしらえ始める。

ふたりがなかよしなのはとなりの台所にいてもおだやかに感じられ、またしてもかあちゃんの気分になった。

その後わたしたちは、めしをもりもり食い、ドラマの最終回を見、茶をのんだ。

時報を知らせる鐘の音を幾度か数えているうちに、なぜか正しい回数より2回分、いつもその音がたりないことに気づく。9時なら7回しか鳴らんのよ。

そして現在、ふたりは樹なつみさんのまんがを携えて帰ってゆき、ことらは部屋にいて、わたしはひとりで時計の音を聴いてる。

ちくたく、ちくたく、夜が流れてゆく。


もりうみけいじばん
↑四万十さっちゃんのおいっこ、とっくん画「もりみざる」。一部で似てると評判。


妹・ことら(かん、改め)との同居、初日。
 
昨夜のバイトから帰ったのは夜中の2時ころで、ことらはこたつで寝ておった。はらぺこのわたしにつきあい、おばばが持たせてくれた引っ越し祝いのごちそうをふたりで頬ばった。

わたしはそのままこたつで眠り、すさまじくいやな後味の夢をみて起きる。怒りに駆られ、殴る蹴るのひどい暴行をひとにたいして加える、って夢。感触が生々しい。

もやもやを吹き飛ばすべく、ツタヤで借りた「ピュア」をみる。
優香(和久井映見)の笑った表情にあったまり、徹さん(堤真一)の無愛想さのなかに光る言葉の数々におたけびをあげる。名作だなあ。

「もっちゃん・ことらのすこやか生活」と題して、約束事についての確認。してほしくないことと、これは自分がやりたいことを言い合い、紙に書き出す。

夕方、ふたりで図書館へ。てくてくあるく道すがら、とってもへんな感じだった。妹と仙台で暮らすことになるとは思ってなかったからねえ。

ことらは寅年生まれだ。ちっさいころからその気性の荒さは天下一品で、この子がへそを曲げて荒れるさまを、家族は「全自動うず潮」と呼ぶ。

ふとん干しがだいすきなことらは、日中、水色の毛布をベランダに広げていた。雲ひとつない空の色が、我が家の窓辺に注がれたようだった。

いまだ思春期から抜けきらないことらとの暮らしは本日はじまり、今後2年は続く。なにが起こるやら。みなさん、どうかあたたかく見守っておくんなせい。

 
・そのひのことのは-021・


 「徹さん、なんで?」
 「……魔法のベルが鳴った」
 
 
 ピュア第4話のラストシーンより
 
んで、ここで「名もなき詩」のギターがじゃらーん、と鳴るわけね。

堤さんて舞台畑のひとで、当時はドラマ初出演とかそんなだった。でもいまあらためてじーっくりみてると、ほんのちょっとした仕草が細やかで心打たれる。うまいなあって、この役を生きてるなと思う。

口数すくないひとから降らされた印象的な言葉って、後々ずっと長いこと自分のなかに刻まれるでしょう。

しかしいまこの場面で使われるとしたら、魔法のポケベルじゃなくて、携帯電話なんだよね。それじゃあ情緒なしだわ。

直接つながることのできる、便利と不自由。失われてほしくないのは、約束を守ろうとする意思と、他人や電波に頼らず会いたい人に会うための、行動力。

もりうみけいじばん
↑和風オムライス。はんぺんスープ。


わたしには妹がふたりいる。

下の妹・かんが今日これから引っ越してくるんだけど、上の妹・みりが昨日恋人を連れて遊びにきた。

その恋人ひーちゃんがよ、すんげーやつだったんだわ。

あれほどあっさり話が通じる若いにいちゃんと、わたしは久しぶりに会ったぞ。なにを話してもへっちゃらだった。

わたしがおもしろいと思うもの、不思議だなあって感じる場所についてこたつで喋ったが、そのどれもにひーちゃんは追っかけてくれたんだ。もりみめしでおなかがふくれてベルトがきつい(スーツ着用での訪問だったので)、ともがきつつさ。

これまで妹の恋人に会ったことは一度もなかった。自分から会いたいとも全く思わず、向こうから会いたいと思われたこともなかったろう。

食後にふたりなかよく夕暮れのベランダで煙草ふかしてるのみて、まるでかあちゃんのような気持ちになったぞ。

あらゆる点で、ひーちゃんが特別なのだ。みりにとってもこのめぐりあいは相当な転機になってる様子。表情がまるきりちがうんだもん。恋がひとを変えたのではなく、ひーちゃんがみりを変えたんだ。

神社や、樹や空の景色をみるのがすきというふたりに、四万十川にいたころの写真をみてもらった。ほかにも足摺岬や、青森の十二湖など。

わたしがここ数年で上手に切り取ることができた色たちを手にとり、喜んでくれるふたりをながめてると、写真ってやっぱいいもんだなあって思った。自分がもうその場にいなくたって、記憶を伝えることができる。

言葉だけでは伝えきれないもの、写真でも伝えきれないもの。それでも共有したい記憶は、やはりいっしょに体験するしか術はない。

色恋において「ほんとにすきなのかどうか、わからない」と思いつめる友人がいたら、わたしはいつも問いかける。うつくしきものやでっかいものを前にしたときに、そこにいてほしいひとはだれさ、と。

水は答えを知っている(ひーちゃんも本持ってた!)ように、自分が選んだ枝葉のその先になにがあるかを、わたしたちもすでに知っているのだ。

きっと、いまは思い出せないだけで。


・ほんじつのもりみめし・
 
 
えびとまいたけと、グリンピース炒飯
 →バターとナムプラー風味、ふわふわ玉子のっけ。
はんぺんすーぷ゚
 →残り物のれんこんすーぷに、かつおだしとわかめとはんぺん入り。
 
炒飯、最高。ぱらっぱらで、まるで吹雪のようだったのよ、いやまじで。

もりうみけいじばん
↑こないだのいちご。幼稚園であったお誕生日会ですきなものは?ときかれて「キウイ」答えてた。


お客がくるというのに冷蔵庫がすっからかんだった。

昨日だってとりこがくるから買出し行かな!と思ってたのに、あるものでどうにかしてしまったが、今日はもはやそんな芸当すら期待できない状態。

葉子に教わったスーパーにはじめて行ってみたが、そこがもうなにもかもがわたし好みのお店で、心の中で狂喜乱舞する。野菜と牛乳だけ~と思ってたのに、みそだの缶詰まで買い込み、ザックをぱんぱんにして帰宅。

あの照明のうすぐらさが、建物のさびれぐあいをますます際立たせる。吹抜けの天井には銀色の断熱材がむき出しで、商品価格はわたしがこの町に越してから味わったためしがないほどの充実ぶり。

お客さんも多かったけども、皆さん一様にひっそりしたかんじで、わたしが売り子で入るような大型店などでの喧騒とはかけはなれていた。あれだけ安かったらもっと活気があってもよさそうだが。

でもあの空気がいいんだ、きっと。わたしはじめて行ったのになつかしかったもん。


死んだひいばあちゃん(ぴーちゃんと呼んでいた)と子どものころ買物してた店みたいだった。アポロとか、ジューCとか、エンゼルパイ買ってもらったとこにそっくりだ。

今日はみりと、ひーちゃんが遊びに来る。予定がちょっとずれてぽっかり時間があいたので、この興奮をまずはご報告。

と思ったら、もういらっしゃったわ。これからごはん。おやつもある。

うららかに春がちかづき、窓辺のカポックもつややかに葉を広げはじめてる。

もりうみけいじばん