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↑こんもり野菜の納豆チャーハン 器は数年前「ざったや」で300円で購入

 

朝から今夜はオムライスだ!とうかれる姉妹。

だがしかし、冷蔵(凍)庫内には特売の納豆がわんさか幅をきかせていて、姉はその決断をあっさり翻す。

昨日おつとめ品だったから買ったのに、値引きされてなかった(気づいたけど混んでたのでクレームつけず)、

そのうっぷんを、中華なべとガスコンロの炎で昇華させてしまいたかった。

 

もやしと小松菜をごま油でしゃきんと炒めてざるに

ごはんに、とき玉子とおねぎ

塩・こしょうををまぜまぜ、

中華なべに油をあっつあつに熱したとこに納豆を投入

んで玉子ごはんをうつす→じゃっじゃっ→めんつゆたらーっ

お皿にうつして、お野菜こんもりのっけてかつおぶし、はいできあがり

 

たとえ味はふつうでもよ、見た目よろしいと「おいしさの匙かげん」がアップするでしょう。

このこんもりはけっこう大事だよね。でも小松菜、半生だったからこのあとレンジでちんしました。暴露。

 

またブログのデザイン変えましたが、この色味がすきです ↑のちょうちょが鳥だったらもっとよかったな。 

↓いちばん下の草花がめんこい。春だしな、すこしガーリーにしてみた(だれですか、わらったのは)。

 

さっきことらと昔の写真をみた。子どもんときのから、中学・高校。最初のひとり暮らしのころ。旅先。

思春期のころは大の写真嫌いだったので、ひとからもらったものしかない。

京都・奈良への修学旅行。少年の船に乗って行ったグアムサイパン(「アムリタ」の影響)。文化祭。

 

「このとき(高校のときの髪が5センチくらいしかないわたし)と、いまと、どっちがすき?」

 

ことらに問われて迷わず、「いま」といえるのが喜ばしいよ。だって根暗すぎた、そこらへん。

うれしいとかたのしいとか、思っちゃいけないような気がしてたからな。そりゃあ、治る腰も治んないわけだわ。

痛いのいいわけに、まわりにひとがいなくてもいいや、なにもなくたっていいやと、むやみやたらに諦めて。

ひとによってはいちばんきゃらきゃらする時期、がんとして動かずやり過ごした。

 

まるで、地蔵のようだったろう。ふらっと遊びにきてくれただれかが、お供えを恵んでくれんの。

もしくは漬物石。漬物食いたいひとがよいせって持ち上げてくれる。

 

四万十川ユースでお世話になってたころ、わたしは「毬のようだ」言われた。

よく物に激突してばっかだったからってのは重々承知してる。

でもたった数年でひとは石から毬になれるのだ。短い髪も伸びにのびて、時々背中をつんつん刺激する。

会えなかったひとにだって会えちまうし、その気があればどこへだって行ける。

 

なんでもかんでも、いつかどうにかなってゆく。

まっくらな穴にいるときは思い出せないだけで。思い出そうとすらしないだけで。

 

 

・かんがえたこと・

全国的に、A型とO型の血液不足が懸念されてるらしい。

ダイレクトメールや街頭呼びかけに力入れてもたかがしれてると思うんだよな。

どうせなら24時間までは無理でも、夜間も献血できるようにしたほうがいいんじゃなかろうか。

お勤めのひとにはいまのままの時間じゃ無理があるでしょ、休日は混みこみだし。

 

ではまたあした

 

けいじばん

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↑宮城女のちゃんぷるー。

 

もともと、シンプルなもやし・ピーマン炒めだったんだけど。

傷みはじめる手前の太子の木綿どうふがあったので、ざっくり割ってフライパンの野菜の上に放る。

めんつゆを豆腐めがけてたらして、わーっとあおってできあがり。

まあかんたん。水きりしなくたって、豆腐の味が濃ければへっちゃらだ。

 

豆腐の知識はかつて、「美味しんぼ」から得た。

塩化マグネシウム(にがり)で固めたものは味が濃く、

ほかの凝固剤(グロコノデクタラドン、硫酸カルシウム)の場合は、薄い豆乳って証拠なんだってさ。

ああ、ブラックさん。わたしも嬉野温泉で湯豆腐くいたいよ。

 

こないだ母方の親戚一同が我が家に遊びにくる前日、桃色のデイジーを買ってきた。

おとといからの陽気で葉のかげに息をひそめるように隠れてたつぼみが、ぽこぽこ顔を出しておったよ。

こたつのうえにはさ、山吹色のラナンキュラスが牛乳びんにささってる。つぼみは、ふたつ。

 

昨夜、またも生々しい夢をみた。

 

ひさしぶりに会う知り合いと、こたつで話をしてるんだ。

感触もにおいも残りそうないきおいで、夢に埋没してゆくかんじ。

怖さとか、いやな空気が漂って雲行きがあやしくなりそうものなら、すぐ起きるけどさ。

こういう夢なら毎晩みたいっつーの。

 

朝起きる直前にその日の夜みる夢の予告編が流れたりすりゃ、日中ずーっとうかれてられんのにな。

 

そういや、どなたか今月号のヤングユー、みました?

わたしコンビニで叫びそうになってしまたわ。必死でこらえてぷるぷる震えてたわい。

毎度のことながら、さぞあやしい光景だったと思うんだがよ、あれはさ、びっくりするべさ。

デスノートの第一部の終わり方と、まさにおんなじくらいの威力があった。

 

はい、またあした

 

もりうみけいじばん

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↑もりみスパ(梅味)。きのうののこりのわかめスープ。

 

洗いものをふやすのがいやなので、スパは必ずおなべひとつでこしらえてる。
きのこや野菜から出たダシを麺が吸うし、ゆで汁は調味料のひとつになるし、いいことづくめ。

 

おばばがくれた青菜とエリンギ

スパ(パスタとはどうしても呼べない)のおなべに、どさっと放り込む

ゆで汁はお玉ふたっつ分くらい、とってお。
固めにゆでたらざるにあける


おなべ(もちろん洗わず)に、
オリーブ油
にんにくちょびっと
めんつゆにつけといた梅干
白ごま
黒こしょう
ゆで汁をわーっと煮たたせる
麺をもどして、ざっざとなべを返しながらあおって、はいできあがり。

 

スパをフォークに巻きつけたのを、歯で噛み切るのがすきだ。

虫歯とは縁が切れない体質でありながら、噛み応えのあるたべものに喜びを見出してばかりいる。フランスパンとか、せんべいとかさ。

 

昨日から背中がいたい。まさに花道状態。ぴきっ、てなんの。どうしたもんやら。
実家からスラムダンクを持ってきてもらったのさ。さっき最終巻読んだが、いやー、やっぱすげえ。

 

ミッチーが3P決めたとき、観客席のみんなといっしょになって泣いたぞ。ぐひんっ。
残り1分で1点差。魚住が叫んでる。「シシュー!」
メガネ君といっしょにコートの5人に念じる。がんばれ、がんばれ。
花道がルーズボールを追いかける。流川が跳ぶ。

 

放ったボールがきれいな弧をえがいてリングをくぐり、あの胸をすくかのような音を響かせてネットが揺らぐ。


まんが史上に残るこの見開きのページ。

ぷいっと背を向けたふたりに皆が飛びかかる。もみくちゃ。

晴子ちゃんの泣き笑い。安西せんせのガッツポーズ。

 

リアルタイムで読んでたときは中学生だった。こんな試合ないよなあって思ってたけど、あるんだな、実際。

三木選手が名短(現・桜花学園)に入った年のウィンターカップ女子決勝なんて、残り時間なしの状態で逆転という劇的な展開だった。

 

あー、バスケやりてーなあ。

自分の子が生まれたら沢北みたいにちっさいころからボールと遊ばせて、本気になってやりあおう。

家庭内真剣勝負、テニスも卓球も。手抜きほどつまらんもんはない。

 

2カラムに変更ました。携帯ユーザーのみなさん、みにくかったらすまんです。

 

ちかごろ忘れがちだったんだけど、いらいらするときはまず水を飲みましょう。

きっと血がさ、ぐつぐつ煮えたぎってるだろうからすんなり薄めてやろう。

 

ではまたあした

 

けいじばん

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↑ことらの入学祝のすし。わたしはいっこも食えん。たこもツナ軍艦も玉子もないから。

 

編集欄の字がちっさくなってるな、いいことだ。

 

4時起床、仕事で山形へゆく。うつらうつらしてたら、高速道路の脇にはまだ雪が。

 

仕事が終わったあと、車に拾われるはずがぽかぽか陽気のなか1時間待たされる。へんな色の上着のまんま、もうひとりの同僚と国道沿いでひたすら待ちつづけた。

 

「話を聞かない男、地図が読めない女」とかいう本があったが、今日の運転手はまさしく「話が通じない・地図も読めず、融通もきかない男」だったね。携帯で状況をたずねても、あてずっぽうの返事ばっかりで。

 

しかし、無事拾われた帰り道、まったく悪いと思っていないらしいその態度にむんむんしたものの、セイブオンで農協の野菜ジュースを買ってもらったので水に流そう。

 

ずいぶんと空腹で機嫌が悪かったらしい。まず、めし。これ重要。

 

ことらは本日入学式で、おとんとふくがまたもやってきたが、車が故障。修理に時間がかかり、なかなか帰って来ない。

 

昨夜蜜ちゃんにナンバーワンうどんをいただいたので、みりとふたり分、もりみめんをこしらえる。おつゆに絹とうふが入った、あったかいやつ。

 


・ほんじつのもりみめし・


好みの濃さのめんつゆ
きのこ(今日はしめじ)
手でにぎりつぶした絹とうふ半丁
すりごまを
器か耐熱ボウルに入れてレンジでちん

 

ゆでたうどんをなべからひっぱって器によそい、たれぶっかけて、はいめしあがれ。

 

ストレス解消にもなるにぎりつぶした豆腐が、吹雪みたいなのよん。
 

2杯目以降は水でしめた麺で。一度で二度おいしいよ。黒こしょうを挽いたやつのせると、風味がぐんとよくなる。

 

ふだんはうどんよりそば!派のみりも、ほめてくれたのでうれしい。ぴりっとさせたいなら七味入れても。

 

 

入学式組が帰ってきたあと夜ごはん。↑のおつゆのあまりであんかけを作って、青菜をさっといためたやつにかけて出したらこれまた好評。

 

食後、一気に眠くなって見送りしたあとこたつにもぐって意識喪失。背中がいたくて目が覚める。

 


ほんとうに暖かいいちんちだった。山梨30度でしょ? びっくりだな。

 

夕方、わたし好みの強風が吹きつけてるベランダに、でっかい椅子を置いた。

 

部屋を片して落ち着いた状態でよみたいだいじな手紙が届いたから、ここで読もうと思った。まだ実家にいたときに、真冬でもあったかいベランダで手紙を書いて届けた相手からだったので。

 

封を切らなくてもそれがよきものだとすぐさま解るような、いいにおいがをにじみ出るこんな手紙をわたしも書きたい。

 

 

そういえば、ジャンルを変更しました。暮らしと住まいってとこから、グルメへ。そのひ帳ばーっとみてみたら、どうもめし現場ばっかだなあって思ってさ。

 

お気楽・ごく楽もりみめしを今後もよろしく。

 

けいじばん

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↑もりみめし、出前。

作りたてのおかずを持って、メアリーに乗って蜜ちゃんちへ。

これからロールケーキをいただきます。

朝がはやいので、今日は追記なし。

みなさん
おやすみなさい
またあした



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↑ふくが歌舞伎座で買ったというカレンダーと、おとんが育てた綿の花。


あったかい日だった。

代休で家にいるおとんが、巨大化したユッカを株分けしてて、そのすぐそばで、わんこの「ぼく」がはたはたとしっぽを振っておった。

ずーっとさ、風がふくところで暮らしてけたらいいな。この町は県内でも有数の強風地帯なもんで、どこの土地に行っても風さえ吹けばわたしはけっこう落ち着く。

おんなじ土地の空気吸って、おんなじ釜の飯たべて育っても、ひとりひとりちがうのが姉妹というもんで。

今日はふたりの妹らにそれぞれ感情的にぶつかってこられて、ねえちゃんもうふらふらよ。本音をずどーんとまとめてぶつけられんのも、体力消耗するわな。

わたしは自分のことを家族や友人に、ぜんぶまるごと頭からしっぽの先まで話してるわけではない。嘘とちがう。聞かれないから言わないだけだ。

うそつくとさ、あとで苦労すんの自分でしょ。だれのためにでもなく、たんに自分がしんどい思いしたくないってそれだけ。

どこでなにしても、だれかが見てる気しませんか。

わたしは霊感ないけどさ、うどんのことを「ぺろちゃん」と呼んでた、死んだじいさまのことを、最近よく思い出すわけ。

じいちゃんは腹にできものみつかって入院してた。家での療養に切り替わってから数日後、大判焼きをたべたあと廊下で倒れ、救急車で病院に逆戻り。そのまた数日後に意識を取り戻さないまま亡くなった。

言葉が多いひとではなくて、ひとといるより動物といっしょのほうが楽ちんそうに見えた。そんなじいちゃんに、けものたちはよくなついておった。

わんこに残飯食わせたり、埋葬するつもりだったハムスターを棺桶がわりのざるごと、橋の上から川に放り投げてしまう無頓着なところもあった。


カブでどこまでも吹っ飛んで歩き、交通事故も数回遭っている。どうも似たくはなかった資質を、わたしはこの血の中に受け継いでしまったらしい。

わんこやにゃんこを撫でる手つきや、焼酎(大五郎)を牛乳で割ったのを、くるくるかましたお箸をぺろんとなめる仕草をよく思い出す。

そして3年半がすぎてもまだ、いなくなった気がしない。

だからわたしは泣いてすらいない。おかげであの当時、家族親戚一同から口々に薄情だと嘆かれた。

たしかにお葬式で妹が、涙ながらにおわかれの言葉を読み上げるなか、必死で笑いをこらえてたのはたしかにわたしひとりだったろう。

笑ってはいかんと思えば思うほど、じいちゃんのおもしろい記憶ばっかり噴出するんだもん。ありゃしょうがなかったんだよ、不可抗力だ。

でも、ひとと離れ離れになるのって、かならず悲しまなくてはならんものか?
わらっちゃいかんかね、とてもそうとは思えない。

わたしならさ死んだあと好き勝手に徘徊してそこらを回れるのなら、うるうる涙に暮れてるひとよりも、おばかエピソードを思い出してぶひぶひ笑ってくれるひとのところに出没したい。


いつもやかましいわんこ・ぼくが、やけにおとなしかった今日。

こんな陽気な日和には、じいちゃんのカブのエンジン音がなつかしいです。

けいじばん

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↑いとこのぽんこ(8歳)、本日おたんじょうび。


ふくのおかん、ようすにわたしのおばばの名は豊ばあという。

わたしの知る限り、もっとも料理のレパートリーが広い人物でございますが、そのおばばとおじじ、おじさんとおばさん夫婦、その子供らが、本日我が家を訪れたのです。

ダンボールふたっつぶんのごちそうを携えて。

・帆立の炊き込みごはん・菜の花のおひたし・なめたガレイの煮付け・たこの頭の酢漬け・いとこ煮・お葛かけ・ひき昆布の煮物・金時豆の甘煮

おくずかけってのは、美味しんぼの宮城編にも登場した汁もののことで、根菜や糸こん、豆腐、しいたけ、豆麩なんかをしょうゆ味で煮て、とろみをつけたおつゆのこと。

総勢7人プラス、おとんとふくと、わたしとことらと。

かつてないほど、そしてこれからもこれ以上はないというほど我が家の人口密度が高まった今日、杜の都はぽかぽかと暖かかった。

ふくのお父ちゃん、わたしのじいちゃんは元船乗りだったんだけどさ。

はじめてきたうちのベランダから外をながめている後姿が、あんまり格好良いので、わたしはカメラを持った。

じいちゃんはこういうふうに船から海をみてたんだかなあと思ってさ。ひとを撮りたいなと思ったのは、とっても久しぶりだった。


みなが買い物にでかけたあと、大量のごちそうをまえに途方にくれ、葉子に電話をかけてみる。

「ごちそうあるんだけど、こない?」

帰りの車に便乗して実家に帰ることにしたので、あふれんばかりの料理をもらいうけてもらえんもんかと白羽の矢を向けてみた。

外が薄暗くなりかけたころ葉子はやってきて。

結局買物から帰ってきたふくちゃんと、ドンクのミニクロワッサンをお茶うけに、のほほんとお茶っこのみをする。

ふくちゃん、葉子をいたく気に入った模様。わたしも知らなかった話まで、初対面の葉子にぺろんと語らってるのにはぶったまげたさ。


たのしかったなあ。やっぱめしと茶は、ひとがひととてっとり早くなかよくなるきっかけになるんだわね。

今日いちんち、なんべん薬缶でお湯わかしたろう?
でも、それは幸福な作業だった。

あんだけ笑えんならなんべんでも沸かしたるさね。


山頭火でラーメンたべて、みんなで実家に帰る。

結婚ってすごい制度だなあと思った。なんのつながりもないふたりが一緒になることで、たくさんの結び目ができてゆく。味方がふえる。

いびきまでハーモニー。おそるべし、相性100%夫婦。


・携帯でごらんのみなさまへ・

このたび携帯でも画像がみられるようになったみたいですね。
よかったよかった。


けいじばん
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↑ぼけの匙かげんが、どこか似ている右・ことらと、左が葉子。

「マトリックス」みながらごはん中。

 

 

 玉子が安かったので、シフォンケーキを焼いた。

 

いつも使ってたでっかい型ではないため、半分の量で作る。

さらに余熱時間が短いガスオーブンしか知らないわたしは、メレンゲを混ぜるころになってはじめて気づいた。

 

「あ、やべ。オーブンレンジの使い方わがんねは」

 

こたつでまんが読んでた葉子といっしょにあれこれ試すものの、まるで反応しないオーブン。

 

結局説明書を引っ張りだして事なきを得たものの、てっぺんの焼き色にだまされ焼きすぎた。

 

 

 夕方、18の夏に買ったコンポでひさしぶりに音楽を聴いた。

 

しばらく家にいない間ことらに貸していたのと、去年買ったばかりのコンポを交換したんだ。

 

新しいシャープのはどうも音が薄っぺらで気に入らなかったし、CDが聴けなくなったというので気の毒で。

 

現品かぎりで半額以下で叩き売りされてたオンキョーのそれは、とてもごついデザインだ。

 

銀と黒と木製スピーカーのこげ茶。この素っ気なさがすきだったんだよな。

 

いつも聴いてた音楽が、ぜんぜん違うものみたいだった。

 

ガーネットもオンリー・ロンリー・グローリーも、まるで特別な日に聴いた曲のようなかんじで、耳からうろこがぼろぼろ落ちそうだった。

 

 

 今朝、くるしいまでのけだるさのなかで起きた。

 

夜勤明けの日中を寝ないですましてばっかりだと、ろくなことがない。ごみを出しそびれてしまった。明日はお客さまがどっさりくるのに。

 

長電話を切ったあと、ふとんにたどり着くことなくこたつで寝てしまったのが運のつきらしい。

 

 

 昨日、せっかくの嘘つきの日をほとんどこたつで過ごした。

 

アメブロリニューアルにともなう作業はとてつもない疲労と苦労をもたらし、わたしは髪のけもじゃもじゃにするほどに苛立ってた。

 

だってさ、携帯からいくら送信しても記事が更新されんし(アドレス変更を知らず)、個人的にメールの不便さをあらためて嘆くこともあったから。

 

 

 ひとには生まれながらの宿題があるそうな。

 

 

わたしの宿題は「ゆるすこと」なんじゃないかと思う。

 

最近まいんち、ことらを叱ってさ。いろんな時期のいろんなこと思い出しながら考えてたんだ。

 

嘘つかれるのと、約束反古にされるのがいちばんしんどい。いったんそんなんされると、どこまでもどこまでも疑い深くなってしまう。

 

そんでもだいじにしたいなら、どうしても会いたいなら。こだわり放り投げ、恥かき捨てでも、戦うしかないのさ。

 

相手をゆるすとかそんな偉そうなもんじゃなくて。

 

いつだって自らあっさりと膝を折れるように、わたしがわたしをゆるせばよい。

 

んでもしよごれたら、洗い流せばいい。

 

 

・ほんじつのもりみめし・

 

ツナ豆腐/太子の絹どうふ・ツナ・ねぎ・しめじ入り。しょっぱいのでもやしを足す。
ハッシュドポテト/栗原さんの本にのってたやつ。つくってるとき、いいにおいがする。
玉子豆腐/3人でふたついただく。
豆乳のおつゆ/ひらたけ・小松菜入り。白ごま油をたらす。

 

イソフラボンたっぷり食だなあ。

 

こしらえてるときによ、冷蔵庫の上に置いてた薬缶が落下、台所で水浴びしたっつーの。

こちらはまだ風つめたいです。

 

もりうみけいじばん

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↑すべすべした石を触ってるだけで、うっとりする。

 

 鎖骨のちょっと下のたいらなあたりに、ここんとこずーっと、まとわりついてたもやもやがあった。

 

 「いついなくなっても平気なように」ってよくいうさ、わたし。

 
もともとがマイナスなのね、のこり時間がほとんどないわー、さてどうすんべって想定で暮らしてるわけだ。そうすっと必死にならざるおえないでしょ。あくまで後ろ向き極まりない。

 

でもわたしの後ろ向きパワーには、おばかちゃんエッセンスがつねにたっぷり注がれるために、いつのこまにか「ま、とりあえずわらちゃいますか?わっはっは」ってなっちまう。

 

もともと主流だったはずの後ろ向きパワーは息をひそめてるかに見えるが、ある日ふとしたことでころっと、ほかのすべてまでを覆い尽くす。そうなっと手に負えん。

 

わたしは読んでて苦しくなるサイトには目を通さないようにしてるけど、漂流しててたまたまそういうところに行き着いたらば、どっと疲れて電源を切る。もやもや粒吸って、がおっちまう。 注・がおる=方言で、疲れるの意

 

ブログの活用法はひとそれぞれでいい。でもわたしとはまったくちがう使い方で、しっかり学びを得てる友人のを見ると、きまっていつも消耗してしまう。

 

あまりに直接響きすぎて乗り物酔いのような気分になるので、みるのを自粛していた。

 

「落ち込んでるときと、逆にうんと気分がよくて乱されたくないときは見ないし、電話も出ないからね」

 

なんともまあ鬼嫁のような言い分を、それでいいよと言ってくれたあの子はなんて太っ腹。

 

四国・松山で撮ったオーラ写真の診断結果にさ「あなたの興奮はひとに伝染しやすい」とあった。そんならよ、どうせ蔓延させんなら、おばかちゃん的興奮をまき散らしたい。


だからそのひ帳はすきなもの、だいじなひとたちと、たべものと、どあほう報告一色になる。


たとえばこないだ、豆乳ラテ作って環ちゃんにだそうとして"カフェオレしません?”ブレンディ入れて作ったら、なんでか溶けない。いくらかましても粒が残る。


おかしいおかしいと思い、そこにいたちひろちゃんに見せたら「これ豆挽いたやつだよー」と助言をいただき、茶こし使ってお出しした、とかさ。


古着屋でうんといい色のジャージを400円で買ってきてみれば、じつはどっかの学校ジャージだったとかさ(1年6組61番小野辺さんのものだったらしい)。


そんなんでいい。

 

そのひ帳はあくまで道具であって、場ではない。

 

作家でも評論家でもないわたしの近況を、知人に報告するための、そしてあたらしいだれかと会うための、ただの道具にすぎん。


せっかく時間と通信料使って読んでくれてる友人知人らにさ、もやもや気分をおすそ分けすんのはしのびないもんな。


ひょんなところからそのひ帳まで流れ着いてくださった、会ったことすらない見ず知らずのひとにだって、パソコンや携帯の画面から、もやもや粒は届くっちゃ。


いくら多くの言葉をネットの海で交わしても、解り合えた気分になっても、海のなかにいるまんまじゃ、どっかの町ですれ違っても気づくことすらできないでしょ。ネット環境がなかったら、つながり消えちゃうでしょ。

 

ごめんもありがとうも、言えやしねえ。

 

実際会うのが無理でも、電話で自分の声でおはなししたり、肉筆で手紙をやりとりしたり、自分の手で生み出した作品なんかを届けられるのなら、ちゃんとこのひとと会いましたって、しるしが残る。

 

わたしはそのしるしががほしいし、受け取ってももらいたい。電力に頼らないたしかなものに触らないと、気がすまないし落ちつかないんだもの。

 

使ってるのは便利な近代文明の恩恵そのものでも、頭んなかは旧式のまんまってことだな。うちのじいちゃんばあちゃん並みに、海のなかとそとをぱこんっと割り切れんのよ。

 

つらいときにつらいというのは至極簡単。でもそうわたしが言ったところで、ここに書いたところで、はたしてそれを知ったひとらはうきうきした気分になるか? そうは思えない。



「うひー、出た出たやっと出たー!」って報告ならいいだろうさ。いっしょにうおっしゃ-!って叫べるし。


わたしゃ自分の悩みやしんどさについて、ひとと語らうつもりはない。うつ穴は、ひとり勝手気ままに落っこちてればいい。


しかしそれすら、もううひとりで暮らしてたときのようにはいかない。


わたしの精神面での上がり下がりは、そのままことらとの共用スペースの環境状態に反映されるから。なぜならわたしは気分わるいと、部屋を散らかしっぱなしにする。ことらはそれがいやらしい。

 

しかもごはんは味気ない日多いし、肉料理はいっぺんしか出ない。その上しこたま怒られてばっかりのこの10日間、ことらなりの苦労はあったことだろう。

 

姉を怒らせることを次々期待以上にやらかす妹には、もちろん非はある。

 

でもわたしの叱り方には最近毒がすごかった。ここまでかってほど、こってりと濃厚でしかも熱い。まるでお好み焼きかなんかの表現みたいだけど、あんなん浴び続けたら寿命縮まるね。

 

だから謝った。毒まいてごめんよと。

ごめんとありがとは気づいたらそのつど伝えるべし。

 

吐き出せないもやもやを、妹に浴びせかけてどうするよ。
もっとがんばろう、姉。


 

というのを、おとといアップしようとしたらば、メンテナンスに入ってしまったあとだったので、今日更新。

 

ちなみにあの晩は、とりこと葉子がごはんたべにきた。葉子たんじょび、おめでとう!

 

3人で餃子をつくったが、O型とA型の気質のちがいがそのまんま仕上がりに反映されてて感心したわー。

葉子の肉多すぎだから、はみ出してばっか。O型の大ざっぱな気質、だいすきだけどね。

 

ネットの海でたゆたって、見知らぬやさしいだれかの言葉に心温まることもあるけれど。

 

わたしは自分の手で触れるもの、耳で聴けるもの、この目で見届けられるもの、自分の声で意思を伝えることができるひとらのことを、ていねいに大切にする。

 

そのひ帳という道具をつかって、これからもわたしの日常を伝えてゆく。


けいじばん

*テキスト使って書いたら長くなりすぎた…すまんのう

←ぱりっぱりでございます。小松菜とチーズときのこを包んで、はんぶんこに折っただけ。


25時間寝ていません。
 
わたしはもともとロングスリーパー(長時間睡眠を必要とする体質)なので、眠らないことにはなにも始まらない。

にもかかわらず、なんでまたこんなことになっているかというとだ。

夜勤明け→ミニストップで立ち読み
→公園でおにぎり→あゆみブックスで本選び
→タワーレコードに取り寄せの雑誌を取りに
→歩いて献血へ→壊れた自転車を修理に出す
→図書館へ→ことらと買い物へ
→餃子を焼く→食う

最近あんまり昼間の街に出ないので、用事をまとめてすませてしまおうと思ったわけさ。

こんなんでもぴんぴんしてるのには、これまた理由がある。

昨夜雨が降るなかでかけるときにポストに封書が届いておったんよ、2通。どっちの子も南に住む友人で、かたや青森で、もひとりは山梨で出会った。

めんこい封筒に、自筆で綴られたあったかい便りを入れて送ってくれる。わたしが返事を送れずにいる間も変わることなく、近況を伝えてくれるんだ。

しかも今回はさ、それぞれおまけがついてたの。
地域限定のおかし! わーい、わーい。

これで元気にならないわけがないだろう。
ありがとう、さっちん・まゆーる。

ここまで書いたのは昨夜(29日)だったんだけど、更新できないまんまメモ帳に貼り付けてわたしはこたつで爆睡して、さっき起きた。

コンタクト3日つけっぱなしのせいで、目やにで目が開かない。

修理に出した愛車・メアリーは前輪がすり切れていたので交換、5千円。でも10年乗ってるし、今後もなかよくしたいので自転車屋のおっちゃんにまかせる。

でも買い物袋を店に置き去りにしてきたので、今日また取りに行かねばならん。


・そのひのことのは-023・


 あなた自身からぬけだしなさい。
 町を歩くあなたをみなさい。


「グレープフルーツ・ジュース」より オノ・ヨーコ著(講談社文庫)


おにぎりをたべた場所は公園で、わたし最近木のそばにいられなかったなあって思った。外で歌を歌うこともなかったよ。

きっとここでね、バイト疲れがふっとんだんだな。本屋行ったらいつか古本で買うつもりだったんだけど、どうしても手に入れたくなった。

忘れないように。いまの状態と気持ちを、この本ごと記憶したいと。

発売後半月たってやっと手元にやってきた「ジェネレーション・タイムズvol.2」には、Coccoのインタビューが載ってる。この号のテーマは「街ヲ想フ」。

ただの宮城の女にできることを、しよう。

 
もりうみけいじばん